内野聖陽は実家がお寺!若い頃抱いた夢や高校・大学にタイムスリップし、過去を覗いてみましょう!内野聖陽の実家のお寺は曹洞宗の厳しいお家柄?若い頃抱いた夢とはどんなことだったのだろうか?通った高校・大学ってどんなところ?内野聖陽の略歴を掘り下げて、人物像に迫ってみましょう!
内野聖陽の実家がお寺で跡継ぎ?知られざる役者までの道のり
内野聖陽さんは、『曹洞宗臥龍山雲松院』の第3子長男として誕生した。
男子なので、当然のごとく親は、跡を継いでほしいと厳しく育ててきたという。
小児喘息を患い、息子のために庭に鉄棒を作って鍛えたらしい。
親御さんも相当期待したのでしょうね?愛情いっぱいに!
2002年には愛情いっぱいに育てていただいたお父さんが病気で亡くなられるも、お父さんは後継ぎにはなってほしかったということも言われていますが、聖陽さんは、役者を中途半派でやっていないと断言し、継ぐことはなかったという。
断固たる決意ですよね!ただ、母親とは絶縁になってしまい、残念な気持ちも、多少はあります。
私の知り合いにもお寺の世継ぎになられた方がいますが、ただの世継ぎではなくて、周りにも影響があります。
一度、お継ぎになる経緯も聞いたのですが、長男っていうのは、宿命らしいですね。この時代でも。長男以外の方が継ぐとなると話し合いが結構長引くそうです。宗教家は厳しいです。
内野聖陽の通った高校・大学ってどこ?
内野聖陽さんの学歴を簡単に言うと・・・
地元の小学校
↓
世田谷学園(中高一貫校・仏教系)
↓
一浪後早稲田大学・政治経済学部
といったところです。
学園時代は男子校で、恋愛とはほぼ無縁らしいです。というよりは奥手のタイプみたい。
部活はバレー部に所属
性格は、引っ込み思案で照れ屋さん。
意外ですよね!
ちなみに住職の資格はあるみたいですね。
一浪する前は仏教系の大学には受かっていたらしく、親の反対を押し切っての早稲田大学入学に足跡を残した。
大学入学後は、文学座に入所し、役者の道にへと進みました・・・とさ。
もともと、俳優になりたかったのでしょうか?親の反対まで踏み切ってまで、早稲田大学に入り、役者という道が聖陽さんの使命感に思えてきます。ただ、役者という道に進もうと思ったのは、何のためか知りたいところですね!
政治経済学部っていう点で行くと、何気に経営者もしくは戦略家路線かな?とも思ったりもしますが・・・
内野聖陽の若い頃ってどういう人だった?
内野聖陽さんは、もともとはジャーナリスト志望。
世間を見据えたかったのでしょうか?自分の目で確かめたものを世に伝える正しい道を行きたかったのですね。
やっぱり、役者になるという思いは、どこから生まれたのかが不思議です。
それにしても、カッコよさには魅了される人も多かったのでしょう。
役作りでは、かなりストイックな性格なので、相当厳しいお方なのだと思います。
一度、肉体改造も行っているらしく、その体つきにも魅了さてた女性ファンも多いかと思われます。
今では、ドラマ・映画に欠かせない人物。オトナな魅力で今後もご活躍なされるでしょう!
内野聖陽の英語力の凄さ!
内野聖陽さんの英語力は、流暢ですごいそうです。
大学時代に英語のみの劇を取り組んだ際に身に着けたもの。
英語自体も好きなのかな?
2015年に公開された映画『海難1890』で、医師役を務めたときには、英語のセリフもあったらしく、その流暢な英語をお耳にされた方もいるかと存じます。印象には残ってる方もいるかもしれません。
今後見たい方は、DVDか動画配信サイトで見てね!
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